鈴木織恵

歌人として定子の女房となった清少納言の作品『枕草子』には、華やかな宮廷生活と美しく聡明な定子の姿が描かれていますが、実は、この頃の定子は父の道隆が病没し、政治的に苦しい立場にありました。清少納言が、華やかな宮廷生活を『枕草子』に描き、漢詩を題材とした歌を詠んだ背景には、漢籍を好む一条天皇に、定子の美しさや聡明さをアピールすることで、一条天皇の寵愛を得ようする苦心がありました。なんとか定子は一条天皇の第一皇子を出産しますが、再び懐妊した時に、兄弟の伊周らが花山上皇との乱闘事件を起こして失脚してしまいます。定子は失意の中で皇女を出産して亡くなると、清少納言も宮中を退出しました。 一方、道長の娘の彰子は十二歳で一条天皇の中宮となりますが、入内して五年が過ぎても子どもが授かりませんでした。一刻でも早い皇子出生を願う道長は、一条天皇が彰子の元を足繁く訪れるようにと、和泉式部や赤染衛門などの有名な歌人を女房にし、豪華な調度品をそろえます。そのような中で道長の目に留まったのが、当時評判の『源氏物語』作者の紫式部でした。紫式部が彰子の元に出仕した当時、一条天皇は亡き定子を慕うばかりで、彰子にはなかなか子どもが授からない状況下にありました。彰子の女房たちはさぞや焦っていたに違いありません。つまり、紫式部が清少納言を非難する背景には、道隆の娘定子と道長の娘彰子の争い、そして道隆の息子伊周と道長、つまり甥と叔父との主導権争いがあったのです。その主導権争いに最終的に勝利し、「一の人」として政治の主導権を握ったのは藤原道長でした。